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シャネル [ブランドストーリー]

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シャネルのブランドストーリーは、まさに創始者であるココ・シャネルのヒストリーである。

「人に歴史あり」と言われるように、どんな人の人生も山あり、谷あり、一つの大きなドラマである。

特に功成り、名を遂げた人の人生は驚きに満ちたものである。

その中でもココ・シャネルの人生は、見ているものの興味を強く惹くものに違いない。

歴史上の人物ならばいざ知らず、デザイナーでありながらこれほど多くの映画が作られる人はそう滅多にいるものではないだろう。

その背景には、ココがファッションを通じて女性の生き方に対して常に問いかけていたということもあろうし、ココ自身の恋多き人生そのものも波乱に満ちていたということがある。

ガブリエル・ボヌー・シャネルは、1883年、フランス南西部のオーヴェルニュ地方ソミュールの救済病院で生まれる。

12歳の誕生日前に母は死に、父に捨てられ、孤児院や修道院で育つ。

ココは愛称で、針子仕事をこなしながら、歌手を夢見てキャバレーで歌っていた「Ko Ko Ri Ko(コケコッコー)」と、「Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのは誰)」という歌の題名からつけられた。

ココは針子仕事をしていても、歌手をしていても当時には珍しく自己を主張する女性であったことから、社交界の紳士たちに見初められることが多く、社交界に出入りするようになる。

そこでもファッションを通じて自己を主張し続け、その作品が認められて援助を受け、自身の店を持つようになった。

当時のドレスはカーテンみたいに重く、裾を引きずることを嫌い、身軽に動けるドレスを作り、自ら着る。

最初の成功のきっかけになる帽子も、当時は羽やフリルの飾りだらけの帽子であったが、ココはそんな帽子にうんざりしており、すっきりした行動しやすいデザインの帽子考案する。

最初に持った店は、その帽子専門店である。

これが1910年のことである。ココ27歳であった。

1915年にはビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンし、このころからドレスなども手掛ける。翌年、コレクションを発表し大成功を収める。

1921年には本店をカンボン通り31番地に移転、拡張。調香師との出会いによってシャネル「No.5」、「No.22」を発表する。

すでに1939年には社員数4,000人の大企業となっていたが、従業員との軋轢から一部店舗を残して一時引退状態となる。

このときココ56歳のことである。

1939年9月に勃発し、1945年8月に終戦となる第二次世界大戦をはさんだ15年間、ココはフランスのファッション界から姿を消し、スイスでの亡命生活を送る。

この背景にはココが戦時中、ドイツ軍将校と愛人関係にあり、終戦後に対ドイツ協力者として非難を浴びたことがある。

1954年、71歳でフランスファッション界にカムバックすべく、コレクションを発表するが、戦時中の嫌悪感もあり散々な評判となる。

しかし、ココのファッションの変わらぬコンセプトである女性の社会進出へのサポートが、ウーマンリブがブーム化するアメリカで大いに受け入れられる。

そしてやがて、本国でも見直されることになる。

そのココの考え方の基本は、「翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすためにどんな障害も乗り越えなさい」というもの。

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