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コーチ [ブランドストーリー]

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アメリカのファッションブランド・コーチの創業は1941年と他のファッションブランド並みに古い。

しかし、創業当初はグローブ用の革の性能に注目して、主に男性用の鞄を製造するメーカーであった。

グローブ用の革の良さは耐久性や機能性に優れていることと、何よりも使い込むほどに味が出てくることです。

コーチが今のようにファッション業界において大躍進したのは、1985年にサラ・リー社に買収されてからのこと。

それまでは鞄や財布など、性能を重視した製品が中心でしたが、買収後にはスカーフ、帽子、アクセサリーなど総合ファッションメーカーに変貌して行きます。

その結果、2000年10月にはニューヨーク証券取引所に上場するまでになりました。

その間、生産をドミニカ共和国や中国などへの外注に切り替え、1996年にはリード・クラッコフをクリエイティブ・ディレクターに迎えている。

そして、現在の名声に決定的に影響したのが、2001年のシグニチャー・ラインと呼ばれるC模様のキャンバス地のバッグの発売です。

意外な感じがするが、コーチの代表的な製品の誕生は今からわずか10年前のこと。

そのため、コーチは比較的新興ブランドというとらえ方をしている人は多い。

その意味で、短期的にグローバルなファッションブランドとして躍進したコーチのブランド戦略は巧であったと言えるでしょう。

庶民には手に入れにくい高価格バッグを発売しつつ、小物の中でも比較的市場性のある財布ではお手頃価格を示し、また傷物や流行おくれをアウトレットで展開するというものである。

つまり、セレブのプライドをくすぐりながらも、それを利用して大衆も取り込もうという戦略である。

そのような戦略が功を奏し、今や老舗ブランドに劣らない人気を誇るまでになっています。

コーチの小物類

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長財布

>、コーチのキャリーバッグ


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マーク・ジェイコブス [ブランドストーリー]

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マーク・ジェイコブスは1963年、ニューヨークに生まれる。

ハイスクール・オブ・アート・アンド・デザインを卒業後、パーソンズ・スクール・オブ・デザインを卒業。

在学中からその才能は開花し、在学中にペリー・エルス(ニューヨークのファッションブランド)からデザイン賞を受賞した。

1986年には米国オンワード樫山の支援を受け、「マーク・ジェイコブス」ブランドで初のコレクションを開催している。

1996年には独立する一方、1997年からはルイ・ヴィトンのプレタポルテのデザイナーとしても活躍している。

ルイ・ヴィトンへの貢献は大きなものがあるという見方もある。

オンワード樫山との契約が彼の成功のきっかけになったことから、大の親日家である。

日本の芸術家とのコラボも何例かある。

マーク・ジェイコブスのデザインコンセプトを一言で言えばゴージャス。

そのうえで、独創性と洗練がミックスされたデザインになっている。

マーク・ジェイコブスの小物類

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長財布

iPhone用ケース
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シャネル [ブランドストーリー]

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シャネルのブランドストーリーは、まさに創始者であるココ・シャネルのヒストリーである。

「人に歴史あり」と言われるように、どんな人の人生も山あり、谷あり、一つの大きなドラマである。

特に功成り、名を遂げた人の人生は驚きに満ちたものである。

その中でもココ・シャネルの人生は、見ているものの興味を強く惹くものに違いない。

歴史上の人物ならばいざ知らず、デザイナーでありながらこれほど多くの映画が作られる人はそう滅多にいるものではないだろう。

その背景には、ココがファッションを通じて女性の生き方に対して常に問いかけていたということもあろうし、ココ自身の恋多き人生そのものも波乱に満ちていたということがある。

ガブリエル・ボヌー・シャネルは、1883年、フランス南西部のオーヴェルニュ地方ソミュールの救済病院で生まれる。

12歳の誕生日前に母は死に、父に捨てられ、孤児院や修道院で育つ。

ココは愛称で、針子仕事をこなしながら、歌手を夢見てキャバレーで歌っていた「Ko Ko Ri Ko(コケコッコー)」と、「Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのは誰)」という歌の題名からつけられた。

ココは針子仕事をしていても、歌手をしていても当時には珍しく自己を主張する女性であったことから、社交界の紳士たちに見初められることが多く、社交界に出入りするようになる。

そこでもファッションを通じて自己を主張し続け、その作品が認められて援助を受け、自身の店を持つようになった。

当時のドレスはカーテンみたいに重く、裾を引きずることを嫌い、身軽に動けるドレスを作り、自ら着る。

最初の成功のきっかけになる帽子も、当時は羽やフリルの飾りだらけの帽子であったが、ココはそんな帽子にうんざりしており、すっきりした行動しやすいデザインの帽子考案する。

最初に持った店は、その帽子専門店である。

これが1910年のことである。ココ27歳であった。

1915年にはビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンし、このころからドレスなども手掛ける。翌年、コレクションを発表し大成功を収める。

1921年には本店をカンボン通り31番地に移転、拡張。調香師との出会いによってシャネル「No.5」、「No.22」を発表する。

すでに1939年には社員数4,000人の大企業となっていたが、従業員との軋轢から一部店舗を残して一時引退状態となる。

このときココ56歳のことである。

1939年9月に勃発し、1945年8月に終戦となる第二次世界大戦をはさんだ15年間、ココはフランスのファッション界から姿を消し、スイスでの亡命生活を送る。

この背景にはココが戦時中、ドイツ軍将校と愛人関係にあり、終戦後に対ドイツ協力者として非難を浴びたことがある。

1954年、71歳でフランスファッション界にカムバックすべく、コレクションを発表するが、戦時中の嫌悪感もあり散々な評判となる。

しかし、ココのファッションの変わらぬコンセプトである女性の社会進出へのサポートが、ウーマンリブがブーム化するアメリカで大いに受け入れられる。

そしてやがて、本国でも見直されることになる。

そのココの考え方の基本は、「翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすためにどんな障害も乗り越えなさい」というもの。

シャネルのファッション小物類

カードケース

シガレットケース

パスケース

デジカメケース

長財布


ヴィヴィアン・ウェストウッド [ブランドストーリー]

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ヴィヴィアン・ウェストウッドの創始者で現在も経営者であるヴィヴィアン・イザベル・スウェアの生年は1941年である。

イギリスのダービーシャー州グロソップに生まれた。

1962年に最初の結婚をするが、その夫の姓がウェストウッドであった。

ただし、結婚の3年後には離婚している。

彼女はイギリスが生んだ最も奇抜な人物の一人と言われるほどさまざまな分野に才能を発揮し、事業を展開してきた。

また、白髪で浮世離れした雰囲気があり、ノーメイクでホラーに出られるようなラディカルな女性と表現されることもある。

ちなみに、こちらが本人の写真である:
http://www.vogue.co.jp/fashion/whoswho/designer/vivienne-westwood

1971年に2番目の夫のマルコム・マクラーレンと、キングスロードの430番地に「レット・イット・ロック」というブティックをオープンする。

1974年に店名を「SEX」に変更し、1975年にはマルコムとパンクロックバンドのセックス・ピストルズをプロデュースし、パンクの女王と呼ばれることになる。

セックス・ピストルズと言えば、ある時期一世を風靡したバンドであり、そのプロデューサーがヴィヴィアン・ウェストウッドと聞けば大方の人はびっくりすることだろう。

このセックス・ピストルズのメンバーは「SEX」の従業員や顧客だったというから笑ってしまう。

後にマルコムはこのセックス・ピストルズのマネージャーとなっている。

なお、現在はマルコムとも別れて、ヴィヴィアンは25歳年下のアンドレアス・クロンターラーと結婚しているというからなんともはやという感じである。

その後、1976年に店名を「セディショナリーズ」、1979年に「ワールズ・エンズ」に変える。1981年にヴィヴィアン初のキャットウォークコレクションを開催。この年のテーマはサヴェッジとパイレーツで、翌年がホーボーとバッファローであった。

この当時のヴィヴィアンのテーマは「金と財宝、冒険と探検」というものであった。

その後、「伝統をもって未来を創る」という現在のコンセプトに徐々に移行して行った。

その一環として、デザインの傾向を19世紀以前のヨーロッパの衣装から想起するような、エレガントな路線に変わって行く。

日本もヴィヴィアンの愛好者の多い国であるが、この背景には「NANA」の影響や芸能人の愛好者が多いということもあろう。

ヴィヴィアン・ウェストウッドのファッション小物類

パスケース

シガレットケース

二つ折り短財布

コインケース

携帯灰皿

以下それぞれ長財布

2011年春夏新作

メンズ

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ポール・スミス [ブランドストーリー]

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以下長財布メンズ2011年春夏新作ラウンドファスナーハート


オーナー兼デザイナーであるポール・スミスは1946年にイギリスのノッティンガムで生まれる。

少年時代は15歳で学校を退学して、自転車競技のレーサーとして身を立てようと考えるような独立心の強い青年でした。

しかし、不幸にも事故に遭って重傷を負い、レーサーへの道をあきらめました。

それでもそのくらいのことでへこたれるポール・スミスではありません。

その後パブで知り合ったアートスクールの学生たちとの交流を通じて、最初に取り組んだのがコーディネーターとして彼らの仲介役あれこれしました。

これが17歳のこと。

その3年後、20歳の時にその後ポール・スミスのパートナーとなるポーリーン・デニアと結婚をすることになる。

彼は家族のために熱心に働き、やがて自分の店を持てるようになった。

彼の信条は、

The job changes you,you don't change the job.

つまり、仕事によってあなたが変わることはあるけれども、あなたが仕事を変えることはできない、というものであった。

ポール・スミスは1970年、24歳でポール・スミス リミテッドを設立することになります。

その仕事ぶりから、4年後の1974年にブラウンズ社の専任コーディネーターとして採用されます。

自分のショップ運営しながら、ブラウンズ社の商品デザインを担当し、ブラウンズ社の名声を高めることに貢献しました。

ビジネスが軌道に乗ってきたため、ノッティンガムでさらに大きなスペースに店を移したましが、このときからオリジナルブランドを手掛けています。

出来上がったシャツを自ら売り込みに行き、初めて買ってくれた人が、ニューヨークの有名ショップ「バーニーズ」のオーナーの息子であり、200枚の注文をくれたそうである。

1976年に初めてファッションショーを開いてから、順調に顧客も拡大し、やがて世界的な名声も手に入れてゆく。

そして、2000年には、デザインへの貢献によって、エリザベス女王からナイトの爵位を授与されることになる。

*****ポール・スミスのファッション*****

「ひねりのあるクラシック」

がポール・スミスのポリシーである。

これはたとえば、ヴィヴィアン・ウェストウッドの「伝統をもって未来を創る」とも相通ずるものがあるかもしれない。

これによって、ともすればジーンズとTシャツというカジュアル志向に押し流されそうであった伝統的な英国メンズウェアの復権に大きく貢献したと言えよう。

ベースにあるのは伝統的な技術であるが、それだけではなく、ブランドのシンボルともなっている色鮮やかなストライプ柄や花柄などもデザインに採用した。

積極的に異業種との提携を行ったことも特徴的である。

すでに10年以上前から、マンチェスター・ユナイテッドやリバプールなどのクラブやヨーロッパ選手権、ワールドカップなどの公式スーツを提供してきた。

2002年の日韓ワールドカップのイギリス代表には、イギリスの代表的なスポーツ用品メーカーのアンブロと組み、ラゲージや小物類を提供した。

ポールスミスのファッション小物類はこちら

パスケース

ペンケース

カードケース

コインケース

キャリーバッグ

シガレットケース

電波時計

デジカメケース

以下長財布

メンズ

2011年春夏新作

ラウンドファスナー

ハート

ラブレター

レディース

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